2016年4月、次世代の医療として大きな成長が期待される再生・細胞医療の産業化に向けて、神奈川県川崎市殿町地区に「ライフイノベーションセンター(LIC)」が整備されました。最先端のライフサイエンス産業・研究機関が集積する同地区。ここで、LICは研究開発から事業化への取組みを加速させ、再生・細胞医療の有望なシーズの実用化・産業化を目指しています。
そんなLICに製造拠点を構えるのが、NALICの元入居企業である株式会社生命科学インスティテュート(入居当初は株式会社Clio)。
今回は、名古屋医工連携インキュベータ「NALIC」の入居企業特集として、NALICから川崎市へと製造拠点を移した株式会社生命科学インスティテュートの取締役常務執行役員であり、再生医療部門長である森本 聡氏へのインタビューを行いました。
森本 聡氏|プロフィール
1956年生まれ、滋賀県出身。早稲田大学理工学部応用化学科、同大学院を卒業後、株式会社ミドリ十字(現在の田辺三菱製薬株式会社)に入社し、2012年まで勤務。その後、医薬品等の開発などを受託するシミックホールディングス株式会社にて事業開発やライセンス関連の業務に4年間携わる。2016年3月より、株式会社生命科学インスティテュートにより買収されたMuse(ミューズ)細胞*に関する独占的実施権を保有するベンチャー・株式会社Clioの代表取締役社長に就任。2017年1月に株式会社生命科学インスティテュートと合併した後は取締役常務執行役員を務めるかたわら、再生医療部門長・殿町CPC長も務めている。
*末梢血、骨髄及び各臓器の結合組織に存在する生体由来の多能性幹細胞であり、東北大学の出澤真理教授らのグループにより発見された細胞(Multi-lineage differentiating Stress Enduring cell)。
NALICを卒業後、神奈川県川崎市の再生・細胞医療の産業化拠点「ライフイノベーションセンター」へ
—まず、生命科学インスティテュート(以下LSII)について教えてください。
森本:LSIIは、株式会社三菱ケミカルホールディングスグループのヘルスケア事業の強化・拡充を図るため、2014年4月1日に発足しました。“シックケアからヘルスケア、ライフケアまで、幅広く人々の健康に貢献する最先端、高品質のソリューションを提供することを目指します。顧客、社会、環境、社員をはじめとするすべてのステークホルダーの皆様が、共有して感動してもらえるようなソリューションを提供します。”をミッションとし、次世代ヘルスケア、健康・医療ICT、創薬ソリューション事業を展開しています。次世代ヘルスケア領域では、「Muse細胞」の開発に取り組んでいます。
—森本さんは、Muse細胞の研究・開発にいつ頃から携わっているのでしょうか?
森本:ClioがLSIIの傘下に加わってから携わっています。東北大学の出澤教授が出したMuse細胞を生体組織から分離する技術に関する特許が2013年に日本国内で成立しました。その当時特許を管理していたClioで、まず事業化が始まりました。
—ClioがNALICに入居していたのはいつ頃ですか?
森本:2014年2月から2019年2月まで入居していました。入居当時はNALICの2部屋をお借りして、研究員3名でMuseの製造研究を始めたそうです。当時のメンバーに聞くと、新興ベンチャーなのでお金もないし口座も開設できず、ピペットを購入するにも代金前払いで…と苦労していたようで。実験機材が揃わないときは、インキュベーションマネージャーに頼んで、他の会社から機材をお借りすることもあったそうです。
—Clioを傘下に加え、NALICから川崎へと拠点を移した経緯について詳しく教えてください。
森本:Clioは2009年に設立され、当時はNEDOの資金や投資会社、個人投資家の協力によって会社運営が行われていました。出澤教授の研究に注目した私たちLSIIは、まず秘密保持契約を結び、研究開発の進捗を見守っていました。
そして、Muse細胞の製造方法に目処がついた段階で、M&Aに向けた準備が始まります。PMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)の薬事戦略相談を受けた頃から、LSIIがデューテリジェンスを本格的に行い、Clioは2015年6月にLSIIの子会社となりました。そのときは子会社ということで、Clioという社名は残っていました。そして、2017年1月にLSIIに吸収合併され、再生医療部門という一部門になりました。
2021年度の製品化を目指して
—Muse細胞について、簡単に教えてください。
森本:臓器や皮膚、髪の毛など体のいろんな部分の細胞になる、いわゆる「万能細胞(多能性幹細胞あるいは多能性細胞)」の一つです。ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授の「iPS細胞」や胎児から得られる「ES細胞」とかも万能細胞の一つです。Muse細胞は多能性を持ち、体を構成する多様な細胞に分化できます。
—どのような使い方ができるのでしょうか。
森本:例えば、心筋梗塞や脳梗塞の患者さんに投与するとします。すると、Muse細胞が心筋梗塞や脳梗塞の損傷部位から出ているシグナルに導かれて、集まっていきます。そして、その組織を構成する細胞に自発的に分化していき、心臓の機能を改善したり、脳神経が再生するというようなことが期待されています。
—研究開発について、今はどの段階まで進んでいますか?
森本:動物実験で安全性と有効性が確認された適応症で臨床試験を実施している最中です。具体的には、心筋梗塞、脳梗塞、難病指定されている表皮水疱症及び脊髄損傷の4つです。
2020年度に申請、2021年度に承認を得て、世の中に提供することを目指しています。もちろん、ヒトでの臨床試験で効果が出なければ承認は得られませんし、副作用について致命的な問題が出れば承認が得られないリスクは依然として残っています。
—Muse細胞以外の万能細胞も、同様に研究開発が進んでいるのでしょうか。
森本:大学の先生がいろんなトライアルをしているところです。例えばiPS細胞を利用した研究なら、網膜再生医療研究開発プロジェクトによる網膜細胞移植、慶應義塾大学の脊髄損傷治療、京都大学のパーキンソン病治療などです。ES細胞に関しては、海外で臨床開発が進んでいるところです。
—Muse細胞の研究開発は、それらに並ぶ勢いがありますね。
森本:そうですね、万能細胞というくくりの中では進んでいるうちの一つだと思います。ただ、再生医療等製品というのは、すでに世の中に出ているものがあります。Muse細胞製品も同様に製造販売承認を得て、困っている患者さんに提供して、さらには適応症の拡大もしていけたらと考えています。
左手に夢を、右手にそろばんを
—今後の展望について、やはり海外進出も視野に入れているのでしょうか?
森本:将来的には世界展開もしていきたいと考えています。病気は日本人だけがかかるものではなく、世界中に患者さんがいます。世界中の患者さんに製品を届けることは、我々の使命だと思っています。
—最後に、読者へのメッセージをお願いします。
森本:起業を考えている方全てに言えることですが、夢を持ってやっていくことが大切です。でも夢だけでは“食えない”。それを念頭に置き、何が必要なのかをしっかりと考えていくことがポイントだと思います。
例えば薬を創るなら、本当に必要とされているものなのか、評価する側からどう見られるのか。もちろん病気に優劣をつけてはいけないのですが、慈善事業ではなく、あくまでもビジネスなので、赤字が続けばいつかは破綻してしまいます。なので、我々ベンチャーは、いかに資金回収できるかを考えないといけません。それを最初から考える必要はありませんが、どこかのタイミングからは必要になってきます。「左手に夢を、右手にそろばんを」ということだと思います。
それから、積極的な情報発信が必要です。Clioのような新興ベンチャーでも情報を発信し、我々がアンテナを張って探していたので、興味を持つことができました。情報は発信しないと知られることはないので、学会での発表やプレスリリースなど、なんらかの形でぜひ発信してください。
編集部まとめ
NALICに入居した当時は、研究員3名でスタートしたMuse細胞の研究開発。現在は川崎市のライフイノベーションセンターに製造拠点を移し、ここだけで約60名ほどの人が働いています。Muse細胞の研究開発が進み、製造販売の承認が得られて、将来的には世界の治療薬のスタンダードになるかもしれません。
そんなLSIIが入居していた中小機構運営の名古屋医工連携インキュベータ「NALIC」では、産学連携のR&Dを中心とした愛知県内の医療・工学系ベンチャーが、数多く入居しています。
<入居検討者の方に向けて、森本氏からのコメント>
NALICは、鶴舞駅・千種駅のどちらからでも通勤できて、名古屋駅まで5分ほどなので、新幹線への乗り換えも便利です。周辺には名古屋工業大学や名古屋大学が徒歩圏内にあり、アカデミアと連携をしていくには良い環境ですよ。大学の先生方の知恵やアイデア面でも助けていただけるし、ベンチャーとしてはそこをいかに活用するかを貪欲に考えるべきです。我々の場合は、1から実験室を建設することなく、名古屋大学のセルプロセッシングセンター(細胞加工施設)を活用させていただけました。これは大きなメリットでしたね。
NALICでは、今年度も入居企業を募集しています。ご興味のある方は、下記のリンクからぜひお問い合わせください。